Media
ミライ工事メディア
ドブロブニクについて知る【世界遺産・旧市街観光】

・この入力フォームでご提供いただく個人情報は、弊社が提供するサービスや商品に関する情報を電子メール等でご提供および案内のために利用します。
・当個人情報を第三者に提供することはありません。
・当個人情報の取扱いを委託することがあります。委託にあたっては、委託先における個人情報の安全管理が図られるよう、委託先に対する必要かつ適切な監督を行います。
・当個人情報の利用目的の通知、開示、内容の訂正・追加または削除、利用の停止・消去および第三者への提供の停止(「開示等」といいます。)を受け付けております。開示等の請求等は、以下の「個人情報苦情及び相談窓口」で受け付けます。
・任意項目の情報のご提供がない場合、最適なご回答ができない場合があります。
・当ホームページではクッキー等を用いておりますが、これによる個人情報の取得、利用は行っておりません。
・入力していただいた個人情報はSSLにより暗号化されます。
<個人情報苦情及び相談窓口>
株式会社ミライ工事
個人情報保護管理者: 神山
苦情及び相談窓口責任者 神山
〒153-0043 東京都目黒区東山3-16-19
TEL :03-3714-3355
メール:help@miraikoji.com
(受付時間 月曜日~金曜日 祝祭日を除く 9時~17時)
上記を確認の上、ご同意いただける方は送信ボタンを押してください。
こんにちは。ミライ工事メディアです。今回は世界遺産であるドブロブニクの特徴や歴史について紹介します。
ドブロブニクの特徴
ドブロブニクは、W杯2022で3位の成績を収めたクロアチアの南海岸にある都市です。
また、ジブリ映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」のモデルになった都市ともいわれています。
「アドリア海の真珠」と呼ばれ、綺麗な海、街を見れることから地中海で人気のある旅行先の一つです。
ドブロブニクの歴史
昔のドブロブニクは島でした。
395年にローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国はゲルマン民族の手によって、476年に消滅しました。
ドブロブニクは西ローマ帝国が崩壊したあと、スラブ人の襲撃から逃れてきたラテン人の居住区となりました。
そして、入江を挟んでスラブ人と対立する形での暮らしが続いていました。
12世紀後半になるとスラブ人、ラテン人との争いは消え、入江が埋め立てられ、平和な半島になりました。
その埋め立てられた入江が現在のプラツァ通りであり、かつての対立の象徴だった場所は、現在では2つの民族をつなぐ平和の象徴となっています。
アドリア海の真珠に込められた意味
ドブロブニクはかつて、イタリアのヴェネチアに並ぶほどの港湾都市国家でした。
港湾都市は、物資の集散地点の役目を果たすため、港にある商業交易の重要地点として栄えた都市のことを指します。
商業の要となっている地域は、多大な利益を得られる故に、常に侵略の危機にも瀕していました。
そのため地中海の沿岸では防備に有利な自然の要塞として陸から近い島が役割を持って発展しました。
ドブロブニクはその美しさから「アドリア海の真珠」と呼ばれていますが、自然の要塞が「貝殻」のように例えられることも、意味が込められていると解釈できます。
なぜ屋根はオレンジ色なのか?
ドブロブニクの綺麗な景色の構成要素には、旧市街にある建物の、瓦屋根の色も挙げられます。旧市街の建物は屋根がオレンジ色のものが多く、海の青に対照的な赤が入り、美しい光景を構成しております。
1991年に旧ユーゴスラビアが崩壊した後、民族紛争による内戦が勃発しドブロブニクは砲撃を受け、多くの建物が崩壊されました。
そのため、ドブロブニクの旧市街は世界遺産でしたが、1991年~1998年の間は危機遺産として登録されていました。
内戦が治まると、ドブロブニクは世界中から復興支援を受けたことで短期間の復興を遂げることができました。
その際に内戦で砲撃を受けた建物は新しい瓦に葺き替えられたため、綺麗なオレンジ色となっています。
まとめ
今回はドブロブニクについてまとめました。
ミライ工事メディアでは国内外の素晴らしい建築物や建築の豆知識についてまとめています。
気になったら他の記事も見てみてくださいね!
またミライ工事は工事写真アプリを手掛ける会社です!
こちらも気になればダウンロードしてみてください!