法人契約に関するお問い合わせ
0120-917-550

Media

ミライ工事メディア

中尊寺金色堂をご紹介! | 奥州藤原氏のミイラにも迫る!【平泉の文化遺産・国宝・世界遺産】

この記事をシェアする

こんにちは!

今回は、世界遺産にも登録されている 中尊寺金色堂 (岩手県) について紹介していきます!

中尊寺金色堂 とは?

中尊寺金色堂は、岩手県にある中尊寺という歴史あるお寺の一角あります。

金色堂は1124年(天治元年)に奥州藤原氏初代清衡公によって建てられました。

中には金箔が押され、「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、極楽浄土の様子を再現しています。

中尊寺金色堂

©︎https://www.chusonji.or.jp/

中尊寺金色堂は国宝・世界遺産にも登録されている

国宝は1,131件の登録があります。(2022年10月現在)

その中のでも中尊寺金色堂は、1951年国宝建造物第1号として認定されました。

さらに中尊寺周辺は、「平泉の文化遺産」として、2011年に世界遺産にも登録されています!

中尊寺 毛越寺の観自在王院跡

平泉の文化遺産の一つである中尊寺と毛越寺の観自在王院跡

中尊寺金色堂の仏壇・仏像とは?

中尊寺金色堂の内部には、計三つの須弥壇(仏像等を安置するために一段高く設けられた場所)があり、三つの須弥壇の上に仏像が置かれています。

中央檀が藤原清衡、右檀が基衡、左檀が秀衡が造らせたのものです。仏像は彼らの死の前後にそれぞれ建てられています。

なのでそれぞれほぼ30年間隔で作られているため仏像の様式もそれそれ違います。

それぞれの須弥壇には、中央に阿弥陀如来、その両脇に観音・勢至両菩薩、外側に二天王と六地蔵という構成になっています。

一つの須弥壇には11躯、合計で33躯の仏像があります。

中尊寺金色堂の内部の仏像

©︎https://www.chusonji.or.jp/

中尊寺金色堂の仏像の下にはミイラがいる!?

中尊寺金色堂にいるミイラは、日本で一番有名なミイラの一つです。

この後はそのミイラについて紹介していきます。

誰のミイラ?

これらのミイラは中央檀が藤原清衡、右檀が基衡、左檀が秀衡に加え、泰衡の首級が参拝者から向かって左側に位置する右壇に納められています。

これら藤原清衡,基衡,秀衡,泰衡の4代のことを奥州藤原氏と呼びます。

余談ですが参拝者から見ると左側に右壇がありますが、これは神様からみて右・左で右壇・左壇を決めているので見えている側だと逆になります。

中尊寺金色堂の中身の図(ミイラがそれぞれの壇に入っている)

中尊寺金色堂の中身の図(ミイラがそれぞれの壇に入っている)

 

 

 

ミイラになった奥州藤原氏の歴史

奥州藤原氏は平安中期から後期の東北地方の豪族で、平泉を拠点として,陸奥国一帯を支配しました。

この後は4代にわたってミイラとなった奥州藤原氏の歴史についてお話ししていきます。

 

平和な国を目指した 初代 藤原清衡

初代の清衡は母が出羽国の清原氏に再婚したため、清原氏の一員として育ちましたが、前九年合戦・後三年合戦を経て、1094年頃に平泉に館を移しました。

東北地方を治めることになった清衡が一番に望んだことは、世の中を平和にすることでした。

そのため戦で命を落とした人々を霊を慰めるために中尊寺の建立を計画しました。

清衡は京都から技術者を呼んで仏像や仏具などさまざまな装飾で飾りました。これらの技術は今も金色堂の中で残っています。

清衡は、金色堂・二階大堂・池を建築・造営し、20年という長い年月をかけ、中尊寺を建設しました。

藤原清衡

藤原清衡 ©︎wikipedia.org

 

毛越寺を建てた 二代目 藤原基衡

基衡は、商売で得た財力を使用して、平泉の南に毛越寺を建立しました。

現在、毛越寺自体は2度の火災にあって建物は残っていませんが、建物の土台部分や浄土庭園は残っており、平泉の人気観光スポットになっています。

藤原基衡

藤原基衡 ©︎wikipedia.org

 

北方の王者となった 三代目 藤原秀衡

三代目を継いだのは秀衡です。

秀衡は毛越寺を完成させました。さらに、宇治の平等院鳳凰堂をモデルとして造てられた、無量光院を建立しています。

秀衡は、平泉の土地の整備を行い都市を完成させました。秀衡の持つ経済力と統率力を用いて、「陸奥守」という職に任命されます。

「陸奥守」は現在の東北地方全体の知事のような存在で東北全体を治める事になります。

藤原秀衡

藤原秀衡 ©︎wikipedia.org

 

奥州藤原氏の最後藤原氏 4代目 藤原泰衡

秀衡は、1187年の冬、病で亡くなりました。

秀衡の跡を継いだ四代泰衡は、頼朝からの圧力を受けていました。

その圧力に耐えかねたた泰衡は、義経を自殺させてしまいます。

その後頼朝に追われ秋田まで逃げるのですが、最期は家来に殺されてしまいます。

これが奥州藤原氏の滅亡です。

 

滅亡後度重なる戦なので平泉の建物は焼けてなくなりほとんど残っていません。

 

奥州藤原氏にはこのような歴史があったのですね…

この後は金色堂以外の中尊寺の見どころをご紹介していきます!

 

金色堂以外だけじゃない!中尊寺境内の見どころ

金色堂がある、新覆堂以外にも中尊寺にはたくさんの建物のがあります。

讃衛蔵

讃衛蔵は中尊寺における宝物殿に相当する保管庫です。

平安仏教の美術品などが保管されていて現在も入館料を払えば見ることができます。

中尊寺讃衡蔵 ©︎https://www.chusonji.or.jp/

©︎https://www.chusonji.or.jp/

経堂

経堂は、中尊寺経を納めていたお堂です。中尊寺境内には旧経堂もあります。

場所は、金色堂のさらに奥にあり、秋の紅葉が見どころです。

経堂 ©︎https://www.chusonji.or.jp/

©︎https://www.chusonji.or.jp/

旧覆堂

中尊寺 旧覆堂は、現在の覆堂の中に金色堂が納められるまで金色堂が納められていました。

鎌倉時代に建てられたと推測され、壁や天上に平泉・中尊寺・藤原氏などにちなんだ絵が飾られています。

中尊寺 旧覆堂

中尊寺 旧覆堂

そのほかにもたくさんの建物が中尊寺ないにはありますので是非観光に行った際には巡ってみてください!

中尊寺金色堂を観光する

では実際に金色堂に行く際に確認しておきたいことについてお話しします。

中尊寺

中尊寺金色堂への入り口の階段

中尊寺金色堂へのアクセス

中尊寺の最寄りの平泉駅からは徒歩約19分で行くことができます。

詳しくは中尊寺のwebサイトでご覧ください!

中尊寺金色堂を観光する際のの所要時間は?拝観時間・拝観料は?

中尊寺の境内はそれなりの広さがあるので全体を見るには1~2時間ほどかかります。

また拝観時間は、3月上旬~11月上旬まで8:30~17:00、11月上旬~2月末まで8:30~16:30になっています。

拝観料は、大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円です。

中尊寺

中尊寺

まとめ

今回は、岩手県の世界遺産 “中尊寺金色堂” についてまとめていきました。 

このメディアでは世界や日本の有名な建築をまとめていますのできになったら他の記事もぜひ観てみてください! 

 

私たちミライ工事は工事写真台帳を現場でつくる無料から使える工事写真アプリの “ミライ工事” を運営しています。 

こちらも併せて気になれば下のボタンからアプリの詳細をみてみてください! 

この記事をシェアする

工事写真台帳アプリならミライ工事へ

モバイル×クラウドで完結

「ミライ工事」は、工事写真台帳を作成するための電子黒板付きアプリです。

撮影〜台帳を印刷するまで、スマホのボタン一つの操作のみ。

クラウドサービスなので、写真データの受渡しは不要で
異なるスマホ、タブレット、パソコンから同一の写真データを編集できます。
複数人での同時編集により、報告書作成までの作業時間が短縮され、
リアルタイムでの進捗確認が可能になります。

スマホでそのままPDF出力し、台帳の仕上がりもすぐに確認。
そのままお客様にもスマホからデータを共有できます。

台帳のエクセルでの出力もパソコン(WEB版)から可能です。

OK

オフラインモードへの自動切替で、
いつでもどこでも現場写真を撮影可能に!

また、クラウド同期オフモードでは、電波の強弱によらず写真報告書を編集できます。

自動アップロードのオン/オフを活用すれば通信量を節約。Wifi環境でのみ写真をアップロードする運用です。

OK

事務作業の手間をもっと効率化

テンプレート台帳機能を使えば、あらかじめ入力したテキスト内容が、
撮影時の電子小黒板に自動的に反映され、現場での黒板準備に要する手間や時間が削減されます。

これにより、写真台帳を作成するうえで担当者にかかるストレスを大きく削減します。
特に撮影から台帳作成まで2名以上が携わる運用で大きな効果を発揮します。

手順としては台帳のテンプレートを作成して、台帳新規作成時にコピーできます。
台帳の文章が電子黒板に反映され、現場では写真の差し替え撮影だけで済みます。

OK