マチュ・ピチュ遺跡について徹底解説!【アンデス山脈/インカ帝国/世界遺産/複合遺産】
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みなさん、こんにちは。ミライ工事メディアです。
今回は「マチュ・ピチュ遺跡」について解説していきます。
目次
マチュ・ピチュとは?
マチュ・ピチュは、ペルーのウルバンバ谷にある、15世紀のインカ帝国の遺跡で、標高は約2,430mのアンデス山麓に属する山の尾根にある都市遺跡です。
またマチュ・ピチュは、インカ帝国の首都であったクスコから南西約80kmの場所にあります。
マチュ・ピチュは、山上の絶壁に建てられており、山の下から存在を確認できないため「天空都市」「失われた都市」とも呼ばれています。
1983年には複合遺産として、世界遺産へ登録されました。
マチュ・ピチュの歴史
マチュ・ピチュは、15世紀半ばにインカ帝国の王族のための宮殿として建設され、その後、スペイン人による征服後に放棄されたと考えられています。
その後、1911年にアメリカの考古学者ハイラム・ビンガムによって偶然発見されました。
その後ビンガムは、マチュ・ピチュについての書籍や論文を発表しています。
またマチュ・ピチュを建設したアンデス文明の人々は、文字を持たなかったため、この遺跡が作られた理由、首都であるクスコとの関係性など、明らかになっていない部分もあります。
マチュ・ピチュはどこにある?
マチュ・ピチュは南米ペルーのアンデス山脈のウルバンバ谷にあります。
マチュ・ピチュへの行き方は、まずペルーのクスコ市に行き、そこから鉄道やバスで向かいます。
クスコ市内のポロイ駅からペルーレイル社の鉄道で移動することができ、所要時間は約3時間20分です。
また、マチュ・ピチュ村から遺跡まではシャトルバスで移動することができます。
約10分おきに運行していて、所要時間は30分ほどです。
山の上にあるということもあり、結構時間がかかりますね。
マチュ・ピチュの魅力と見どころ
マチュピチュの見どころは、見張り小屋、段々畑、太陽の神殿、インティワタナなどがあります。
また、ワイラナと呼ばれる山の上にある遺跡も見どころの一つです。
ワイラナからはマチュピチュの全景を見ることができます。
見張り小屋
見張り小屋はマチュ・ピチュ全体を俯瞰することができる数少ない場所です。
ここからの眺めは絶景でしょう。
段々畑
マチュ・ピチュの段々畑は「アンデネス」と呼ばれています。
この畑は谷底まで続いており、標高400mだそうです。
太陽の神殿
太陽の神殿はインカ帝国時代、各地に建設されており、太陽信仰の場だったと考えられています。
また曲線を石組みで表現するという高度な技術もうかがえます。
インティワタナ
インティワタナはケチュア語でインティ=太陽、ワタナ=結ぶ、つなぐという意味で、合わせて「太陽をつなぎとめる場所」という意味です。
インティワタナはマチュ・ピチュ最大のパワースポットで非常に人気があるそうです。
まとめ
いかがでしたか?今回は「」について詳しく解説しました!
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